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2019.02.11

進化と変化を繰り返すフットボール 時代と逆行する日本の育成の在り方は正しいのか

昨今、サッカーの競技レベル向上・発展のスピードは加速の一途をたどっている。

中でも、フィジカル的なアプローチがある程度確立された現代フットボールにおいては、頭脳やインテリジェンスの分野がより一層重要視されている。

そして、戦術がより複雑化されていく現代フットボールにおいて、瞬発的な認知・判断・実行が高いレベルで行える選手、あるいはチームが結果を残す時代である(※)。

では、そのような選手・チームはどのように誕生するのか、また、日本の育成を経由してそのような選手は生まれるのか、急速に進化する現代フットボールについて考えてみよう。

(※認知・判断・実行のクオリティが重要なのはサッカー史上において不変であるが、グローバル化と情報化社会によって最新鋭のトレーニング理論が急速な発展・共有されたことにより、ある程度のフィジカルの画一化がなされた現代においては、より一層インテリジェンスの分野が他選手・チームとの差別化を促進すると本記事では考える)

「考えない」という方法

頭脳やインテリジェンスが重要という字面を見ると、「考える選手」が活躍する時代になるのか、という印象を受けるが、それには少し語弊がある。

むしろ「考えて」プレーすることは、現代フットボールの激しいトランジション・ゲーム展開において、プレーのテンポを落としかねない、マイナスの要素として捉えることができる。

上記した様な、認知・判断・実行のフェイズに「考える」プロセスが含まれていないことにもここで注目したい。

考えるフェイズを破棄することによるプレーの効率化、つまり、現代フットボールのスピード感・競技特性においては、「いかにして考えないでプレーできるか」が重要なポイントであり、それを育成年代からどう指導していくかが、未来の各国サッカー界の明暗を分けるだろう。

勿論、チームとして統率を取りながら各個人が「考えないでプレーする」ことは容易ではない。

このような個人戦術をいきなり実践しようとしたところで、「無秩序」なゲーム展開が生まれるだけである。

この高度な個人戦術・サッカーに対する価値観のようなものは育成年代から長いスパンをかけて各選手に落とし込む必要があり、指導者の高い戦術理解、フットボールへの知見が求められるのは言うまでもない。

では、どのようにして「考えないでプレー」できる選手を育てるかについてだが、現在、最も効果的とされ、定説化されつつあるのは、育成年代から膨大な戦術パターンのインプット・様々なシステムの相手との試合を行うことである。

ポイントとなるのは、とにかく多様な経験を積むこと。

単一な戦術を繰り返し行うのではなく、複数で多様な戦術をインプットするのだ。

試合中に起こりうる状況と、その際の最適解を多様な練習・戦術を行った経験から編み出し、試合をこなしていく中で徐々にインプットし、「すでに答えを知っている状態」を作り上げる。状況とセットで、その際の最適解をインプットすることで、「テストで問題を見た瞬間に解答を書く」その様なスピード感・瞬発力を身に着けるのだ。

そして、このような「考えないでプレーできる選手」が、ゲーム展開の速い現代フットボールにおいて結果を残すと考えられる。

多様化のメリット

このような多様な戦術理解には、認知・判断・実行のクオリティを上げる他にも、「環境適応能力の向上」というメリットがある。

昨今の、よりグローバル化した移籍市場において、選手の移籍は日常茶飯事であるが、新天地に移籍した場合、多様な戦術を経験した選手が単一な戦術のみを繰り返した選手よりも環境適応が速いのは言うまでもない。

また、近年のアジアのサッカー人気によって、若手の日本人選手がプレーできる環境が増えていることも、多様な戦術理解を持つことと移籍市場のグローバル化を結び付けて考える上で重要なポイントだ。

現在、タイやシンガポールなどでは、高校や大学を卒業したての日本人が、プロあるいはセミプロとしてプレーする例が増えている。

高校生などのユース年代からJリーグを経由せずに、海外でプロサッカー選手になるのだ。

移籍とまではいかずとも、サッカー留学サービスを活用すれば、小学生やジュニアユース世代でも、欧州を中心とした有名クラブのアカデミーでプレーすることも不可能ではない。

以前と比較して、すべての世代における海外挑戦の敷居が低くなっているのだ。

こういった国外での異文化交流や言語学習も兼ねたチャレンジはプレイヤー的な視点だけでなく、人間性を磨く上でも非常に魅力的だ。

そして、それらの経験は将来設計を考えるうえで非常に多くの選択肢を生み出す。

昨今問題視されているセカンドキャリア形成についても、このような国外のクラブでプレーするという選択は多くのメリットを孕んでいる。

そして、このチャレンジを成功させる下地となるのが、多様な戦術理解による環境適応である。

その他の戦術理解のメリットについても、システムという概念を度外視して考えれば、このような様々な状況の最適解を感覚的に、瞬時に実行できる選手というのはユーティリティ性の面でも非常に高い評価を得ることができる。

スタメンで無くても必ずベンチには入れておきたい、バックアップという点で有力な選手になることもまた可能である。

身体的な要素と相関関係の薄い、インテリジェンスの部分が、プレイヤーとしての選択肢を増やし、結果的に選手寿命を延ばすことにも繋がるのだ。 

日本の育成形態と比較

日本の育成形態で、このような最先端とされる個人戦術の指導が実践されているかといえば、むしろそれとは対極の育成方針を掲げ、指導しているのが現実だ。

高体連を例に挙げれば、その試合内容を見るや否や、戦術の単一化は一目瞭然である。

確かに、選手権で優勝するという目標を掲げて、単一な戦術を繰り返し行うアプローチは「正しい」と考えることも出来るが、育成形態として評価する場合、この勝利至上主義的なアプローチは明らかに「間違い」である。

また、「日本人はスペインやイングランドで通用しない」とよく言われる原因の一つは、上記した様に育成年代で単一な戦術(戦術とは言えない、蹴るだけのサッカーの場合もあるが)を行ったことによる、戦術多様性の欠落とも考えられる。

選手権で活躍した選手がプロや大学サッカー等、より高いレベルにチャレンジする際も、その選手が慣れ親しんだ単一の戦術の中でしか「考えない」プレーができないという例は多く、そのような選手は新チームに加入した瞬間に、また「考えて」プレーするレベルへと逆戻りだ。

このように、特定の戦術のみを行い、戦術多様性(選手の個の力とも評価できる)を伸ばすことを放棄する育成の在り方は、急速に進むフットボール界のグローバル化において、多大なる損失を生む可能性があることについて警鐘を鳴らしたい。

時代と逆行する日本の育成形態の在り方は正しいのか、選手の未来・将来を第一に考えた指導が求められている。

※こちらも合わせてご覧ください

「質」より「量」の弊害 日本的サッカー指導の問題点について
https://fcl-education.com/raising/sportsmanship/quality-amount/

「罰走・体罰」古典的指導がもたらす悲劇 部活動における問題からジュニアサッカーを考える
https://fcl-education.com/raising/sportsmanship/batu-taibatu-soccer/

「走れる」「背が高い」などのフィジカル的要素で適正ポジションは決めても良いのか
https://fcl-education.com/raising/independence-coaching/fast-tall-position/

 

執筆者
JEC

中高大のサッカー競技経験や高校サッカー指導経験を経て、SNS上での戦術分析、ブログ「フィジカル的観点で考える個人戦術」において、部活動や育成年代のサッカーに関しての情報発信を行う。

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