第2回FCL勉強会を終えての雑感 指導者の学びについて

先日第2回FCL勉強会を開催しました。

毎度、講師の寺田さんの熱意には圧倒されます。

約80分程度、ノンストップでサッカーやその指導についてしゃべり続ける人は中々みたことがありません。

それも、高度な内容にて。

喋れる=まとまりがある=常に追求している、という姿勢が本当に尊敬できる方で、初のFCL勉強会の講師を務めて頂き非常に光栄です。

さて、肝心の内容なのですが、ざっとこのような用語を用いて、サッカーやその指導を深め、選手が【できる】ようになるため、そして指導者が【できる】ようにするためには、を考えました。

定位感能力
遠近感能力
気配感能力
コツ身体知 自我中心化作用
カン身体知
情況投射化作用

なんだか言葉だけを見ると難しいのですが、もちろん難しい内容です。

ただ、難しい勉強をするから良い、すごい、ということではなく、本来、サッカーやその指導を追求しているのであれば、内容は深まり難しくなってくるはずで、知れば知るほど自分が何も知らないことを知り、さらなる深みへと歩まなければならないことにも気づくはず。

なので、難しいことを勉強しているという表現よりも、追及していたらここまで来ていた、という表現の方が正しいのかな、と思っています。

「わかった感」「納得感」は今までの自分を強化するだけ。

自分の不全感を埋め合わせるような、自分を肯定してくれる学びなどいらないのです。

それは学びではなく、単なる自己満足。

「わからない悔しい」「不快だ」という感情体験こそが、新たな自分への変容を促し、自己変容は「他者」へと繋がります。

他者へと開かれた存在。

ここが、学びの目指す所ではないかと思ってり、FCLが理想とする指導者像(大人像)です。

そして、そこへと至るためには、むしろ至れるかなどはわからない訳ですが、「答え」を持たないことも重要だと思っています。

それはプロセスに居続けなければならないということであり、安易に答えに飛びつこうとせず、歩みつつ止まらなければならないこと。

日々の歩みは今より少しだけ「最善」に近づくことだけで、そして、その最善すら不完全だと受け止め、不完全な最善を尽くす。

というある種の終わりなき日常を生きる感覚を持つことが重要だと思っています。

 

 

三回目も「スポーツ運動学」を基にサッカーやその指導を深めますので、ぜひ皆様のご参加をお待ちしております。

より多くのサッカー指導者、運動指導者の皆様と共に歩んでいけることを信じて。

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