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2017.12.22

スポーツとフェアプレイ マリーシアと人間形成と 

良心とは何か

スポーツを通して人間形成をする。フェア精神やフェアプレーと呼ばれるものは、人間の良心に依存するものと言える。

 良心は生まれつき兼ね揃えている本能なのか、それとも後天的な教育によるものなのか。

いずれにせよ、世の中では、人間は誰でも良心を持っているという前提で成り立っている。

 規則、制約、条例、法律、憲法、条約 人間の社会には知性や理性を用い作り出した様々な決め事の上で成り立っている。

しかし、それらが機能する為には、人間は良心を基準として善悪を判断する能力がなければ、全く機能しなくなってしまう。

 感情とは人間の心の本質と言える。怒り、喜び、思い、悲しみ、憂い、驚き、恐れ、これらの感情は集団生活をする人間という動物には実は重要であると言えるのだ。

 そもそも、言葉は感情から生まれてきたコミュニケーションツールの一つである。

しかしこの感情は常に理性や知性によってコントロール出来ているかというと必ずしもそうとは言えない。事実、感極まると人は言葉を失ってしまう。

 人間の脳は大きく3つの層から成り立っている

 大脳新皮質(人間の脳 哺乳類などで見られ、知性を司る脳。人間は更に他の動物に比べてこの大脳新皮質の前頭葉といわれるところが発達しています。)

大脳辺縁系(俗にいう犬や猫、哺乳類の脳と言われるもので感情を司る脳)

脳幹脊髄系(俗にいう爬虫類の脳といわれるもので生命の基礎的な能力を司る。)

 人間の行動は理性と本能では本能の方が行動に大きく影響を与える。

 体力が気力を生み気力が知力を生む。この原理に逆らう時に人は病気や怪我を招くことになるのだ。

 精神主義が強くなってしまっている今の日本では、心の在り方と精神の状態の区別が難しくなってきているが、それでも「無心になる」という表現も日本人の心と言うものの捉え方が欧米のそれとは異なるものと考えられる。

 勝負ごとに感情は不必要なのか?

勝負の世界では個人の感情に忖度はしないのか

 実際、人間社会では個人の感情に忖度はしないことは自明ですが、それでも心という感情をなくして生きてはいけなのが人間という動物でもある。

 試合に勝ったが後味の悪い結果であった 

 という表現こそ、人間とは良心の動物であるということがその基本にあると言えるのではないだろうか。

 どんな手を使ってでも試合には勝たなければいけない理由があるのか?

それとも理屈抜きで勝ちたいのか?

 サッカーでは「マリーシア」という言葉が使われるが、各国でその意味や使われ方は様々だ。

 日本語で直訳すれば「ずる賢い」という意味になるが、本来は「機転がきく」や「知性」という意味でもあり、「ずるい」と「賢い」との組み合わせで「ずるい」だけの意味で捉われやすいようだ。

日本のサッカーは勤勉であるがマリーシアが足りない、だから世界では通用しないのだと揶揄されるのも日本人特有の文化風習から生まれたものとも言える。

そもそも資本主義思想や自由競争原理が日本の社会にはなかったのだ。

 サッカーだけではなく日本人はフィジカルが弱いから世界で戦えないということもよく耳にするが、はたして本当にそうなのだろうか。

 男子日本代表の一試合における走行距離はどこの国の選手より多いというデーターがワールドカップでも取りざたされていたが、これも相手の選手からすれば「マリーシア」が足りないという事になるようだ。

 正直者はスポーツには向いていないのか。

「男なら正々堂々勝負しろ」とは男の世界観であり女性の世界観ではないのか?

 練習やトレーニングを言われたとおりに真面目に消化していくのか、それとも自分なりにアレンジをして練習やトレーニングを楽しいものに変えていけるのか。

 オシム前日本代表監督も「日本人がサッカー選手として成功しないのはハングリーさが足りないからではなく頭が良いからだ」と皮肉を込めて評価していたのもマリーシアのことを指しているのではないだろうか。

習い事とスポーツ

 習い事はそれ自体が楽しいからやるものではなく人間形成をする上で必要だからするものであり、スポーツとはそれ自体が楽しいからするものである。

 普通、子どもが、スポーツを通して人間形成しようとは考えない。

 習い事とは本能的に出る動作に頭脳を持ってわざと制限をかけることから磨きをかける教育といえる。

 それに対してスポーツとは動物が持つ本能としての動作に大脳新皮質が生み出したルールという縛りをつけることから新しい動作が身につくことに快があるといえる。

 一般的にはサッカーはスポーツであって習い事ではない。

 サッカーの技術が磨かれることと、そのプレーヤーの人間性が磨かれることに明確な因果関係は見出せないし、普通は人間性の豊かさの為にサッカーの練習をしようとは考えない。

 ただ、サッカーだけに限らず対戦競技は相手がいなければ成り立たない。

どんな相手であっても相手に敬意をはらう事はスポーツをする上では必要だ。

相手がいなければ試合もできない。

いい試合をするためには相手をリスペクトしなければならない。

スポーツは戦争ではない。

 

執筆者紹介
内田真弘 
1970年3月10日生まれ

神奈川衛生学園専門学校 東洋医療総合学科  教員
横浜国際プールはりきゅうマッサージ室    室長
筑波大学 理療科教員養成施設       非常勤講師
東京衛生学園専門学校 東洋医療総合学科    非常勤講師
東京衛生学園専門学校 臨床教育専攻科     非常勤講師
ヒューマンアカデミー横浜校 トレーナー科     非常勤講師

ドイツ VPTアカデミー 認定 スポーツフィジオセラピスト
ドイツ VPTアカデミー 認定 PNF 

神奈川衛生学園専門学校東洋医療総合学科卒業後、ドイツ、フェルバッハにあるVPTアカデミーフィジオクラスに招聘され、スポーツフィジオ、マニュアルセラピー、PNFなどのアシスタントを務め、帰国後は各種専門学校での講義、治療院での患者さん、アスリートの治療、指導にあたる。日本サッカー協会主催の第56回サッカードクターセミナーでは「スポーツ競技に対するゼロ式姿勢調律法の有効性」を講義。神奈川体育センター主催のアスリートサポート講座での姿勢と呼吸についてのセミナーや、神奈川県体育協会主催での「PNF]セミナーなど各地で講演なども行う。指導しているアスリートもプロ野球、スピードスケート(オリンピック日本代表選手)、フィンスイミング日本代表、プロボクサー、サッカー、レスリング、テニス、ダンスと幅広く行う。

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