戦術を語る前に、指導者が目を向け考えるべきこと

スポーツを通して子ども達に携わる者として、その種目のことだけを知っていて、そのことだけを考えていればいいのだろうか。
決して、そんなことはないだろう。

自分はサッカー指導者という立場なので今回はサッカーにフォーカスを当てて書くけれど、サッカーの育成に携わって26年になるが、残念ながら「この人サッカーのことしか知らないんじゃないか」「この人、サッカーのことしか興味がないんだろうな」という人に、これまで散々会ってきた。

日本で「サッカー指導者」をしている人達は、あまりにもサッカー以外のことに対する認識、興味、そして知識と見識がなさすぎる。

たぶん、日本の7割の指導者は、社会のことも政治のことも歴史のことも世界のことにも、一切興味も知識もない人なんじゃないか。

これは自分が実際に多くの指導者と接してきて嫌というほど感じた肌感覚でしかないのだが、正直、肌感覚が一番当たる。

サッカーのことしか知らない
サッカーのことしか話せない

これは逆に、サッカーのことを何も知らず、サッカーのことを話しているようで実は本質とまるでズレたことを話している、と言っていいと思う。

サッカーは、社会や政治、歴史、そして世界から決して切り離せない。

むしろ、密接にリンクしているものだ。

週末の試合の勝敗を気にしたり、最新の戦術を研究する前に

目の前のことだけに囚われてはいけない。

僕らは子ども達の未来に触れているのだから、今生きているこの社会がこれからどう推移していくのか、そしてどんな社会にして子ども達にバトンを渡さなければいけないのかということを考えていくのは、指導者だろうがなんだろうが、大人として最低限の役目だろう。

僕ら大人がもっと社会に目を向け、社会に入っていき、社会をよりよく変えていかなければいけない。

そんなの政治家に任せておけばいいという無関心主義は大人として致命的にダサい。

これからは外国人の人達と関わる機会も増える。

移民もたくさん入ってくる。

新自由主義に向かう政治のおかげで富裕層と貧困層の差は広がる一方で、今では「子どもの貧困」も、決して目を離せない問題になってきている。

弱者に目を向け、少数の側に寄り添い、自由と多様性だけは何が何でも死守しなければいけない。

僕はサッカーこそ、そしてサッカーに関わる者こそが、そのイメージリーダーにもなり得るものだと思っている。

サッカー以外に、僕らに何ができるのか。

自分が担当する学年の週末の試合のことや最新の戦術を研究することばかりに夢中になっていては、子どもに関わる大人として、決定的に何か欠けている。

決してサッカーから切り離せない、大切なもの

同じ神奈川で活動する指導者で、屋良さんという方がいる。

屋良さんはブラジルやコロンビア、エクアドルでプロ経験もあり、今は小学生のスクールとジュニアユースのクラブチームを運営していているのだけれど、数年前にはJFAからシリアに派遣されて、現地のアカデミー、そしてシリアA代表のコーチまで務めた。

自分では到底及ばない、数々の経験と修羅場をくぐってきた方でもある。

自分が尊敬する、数少ない指導者の方の一人だ。

その屋良さんのクラブとよく練習試合をさせてもらうのだけれど、毎回毎回、お互いのゲームを観ながら、ピッチ横で屋良さんと色んなことを話す。

その時に話すことは当然サッカーの話から始まるのだが、話をしているうちに、話の内容がどんどんどんどんサッカーから離れていく。

日本の教育のこと、社会のこと、政治のこと、歴史のこと、そして世界のこと…

目の前のピッチでお互いの選手達がサッカーをしているその横で、それを肴にサッカーについて話し始めたはずが、話が進むにつれて、社会情勢や世界情勢、政治や歴史、教育の話になっていく。

「話がサッカーから離れていく」

と書いたけれど、これは間違った言い方でもあってこれら全部、サッカーとは切り離せないんですよ。絶対に。

だからこそ、自然にそんな話になっていくわけです。

目の前でプレーしている選手達のパーソナリティーや性質は、現在の教育の問題点からは切り離せない。

今現在、僕らや選手達を含めこうして生活していて何不自由なくサッカーをしているのは、これまでの歴史がつくってきたもので、現在の社会の中で、政治の下で、僕らは生きている.

選手達はこれから大人になり、社会人となり、自分の力で生きていかなければならなくなる。

僕ら指導者も歳を取り、やがて老後を迎える。

ほら、僕らの現実、生活、未来は、政治と社会の問題からは避けて通れないでしょう。

そして歴史にも、目を背けるわけにはいかない。昔の日本人がしてきたことを僕らは背負って生きていかなければならないし、後世に語り引き継いでいく義務がある。

サッカーは世界と密接に繋がっている

サッカーは世界中で一番愛されているスポーツであり、一番多くの人々を熱狂させるスポーツであり、文化でもある。

だから、こと日本だけを見てサッカーは語れないし、サッカーをしているつもりになってはいけないんだと思う。

サッカーは、世界と密接に繋がっている。

あの国ではなぜあんなにサッカーが愛されているのか。

あの国の人はこういう歴史があって、気質があって、こんな文化があって、その中にサッカーがあって…と、国や民族の数だけ、サッカーというフィルターを通して語れる。

例えば屋良さんが行っていたシリアは、屋良さんがいた頃まではとても平和で、のどかな国だったという。

それが今では、内戦の果てに国はボロボロになり、未だにアサド政権は国民を蹂躙し続けている。

今この記事を書いている最中には、トルコ軍はシリアに侵攻を始めた、というニュースも入ってきた。

W杯のアジア予選やアジアカップで、日本もシリアとは何度も戦ったでしょう。

内戦中でも、シリア代表は日本に試合をしに来ていた。

「僕らのサムライブルー!」が満員の埼スタで試合をし、みんな陽気に応援しているその一方、このシリアという国は、今なぜ内戦となってしまったのか、その最中に、どうして日本に試合をしに来られるのか、この選手達は、どういう経緯の中で選ばれた選手達なのか。

そんなことを想像したり、同じサッカーファミリーとして想いを馳せたり、実際に調べたりした「サッカー指導者」は、果たして何人いただろう。

見識、見解、良識を持たないのは、大人として恥ずかしい

サッカー以外のことに興味や知識がないことよりも、一番やばいのは「見識と見解」がないこと。

香港でのデモについて、どう思いますか?
憲法改正、するべきだと思いますか?
原発再稼働、賛成ですか?
安倍政権、支持しますか?
消費税増税について、どう思いますか?
子ども達がこれから大人になる日本、今のままで大丈夫だと思いますか?
日本が過去にアジア諸国に対ししてきたこと、説明できますか?
最近の日韓問題、どう思いますか?
日本は、10代から30代までの死因の一位が「自殺」だって知ってますか?
こんな国、先進国では日本だけ。この現実と現状について、子どもに携わる者として、どう思っていますか?

例を挙げればキリがないけど、例えば上記の問題について、皆さん、どんな見識と見解を持ってますか?

全てわかりやすいキャッチーな問題。見識といわずとも、一つ一つの問題について自分はどちらの側に立つか、くらいのスタンスは持っている大人でいてほしい。

見て見ぬ振りはできない。

僕ら大人が真剣に考え、どうにかしなきゃいけない近々の問題。

これら全部、僕らや子ども達の未来と密接に繋がってる話ですよ。

日韓問題で言うならばSNS上でも、そして残念ながら自分の周りにも「嫌韓」を公然と語るサッカー指導者が一定数以上いる。

嫌韓だけでなく、過去に日本がしてきたことをどうしても認めたくない、歴史修正主義者の人もいる。

在日という言葉を差別的ニュアンスで使う人がいるけれど、僕らが思う以上に、在日の人って多いですよ。

その人が携わっているチームの子ども達の中にも、「在日」の子はおそらくいる。

「僕のコーチは、僕のおじいちゃんやお父さんの国のことが嫌いなんだ、差別してるんだ」

と知ったら、その子はどういう思いになるのだろうか。そういう想像力は指導者として以前に大人として欠かせない資質だろう。

差別をせず、差別を嫌い、差別をなくす。こんなことは、人として最低限の良識だ。

国籍や民族、ルーツで人を差別したり見下したりするような人物は、スポーツや子どもの世界にはいるべきではない。

しかしそのような人物が残念ながらこの業界にも増えてきていることに、僕はとても危機感を抱いている。

サッカーしか知らないコーチに、子どもを預けたくない

サッカーのことにしか興味がない
サッカーしか知らない、社会のことなんてどうでもいい
政治家に任せておけばいい
そんなことよりもバルサやマンチェスター・シティーの戦術を知る方が大事だし!
僕はサッカーのことしかわからなくて…
難しいことはちょっと…

そんな指導者に、子どもを預けたいだろうか。

台風19号で60名以上の死者が出てしまった中、「台風で試合潰れちゃったよ、ちぇっ…」

としか言えない指導者に、子どもを預けたいだろうか。

日本すごい!韓国なんて嫌い!

なんて平然と口にする指導者に、子どもを預けたいだろうか。

僕なら、そんな指導者には絶対に子どもを預けたくない。

そもそも、JFAの指導者ライセンス取得講習会で、各自の歴史観、政治観、内外問わず社会問題についての見識を書かせたらどうでしょう。

一番下のD級から。

参加者同士、ディスカッションもしたっていいと思う。

たった2日、視野の確保がどうのファーストタッチがどうのなんて表面的なことを聞かされて簡単に取れちゃう資格なんて、ほぼ意味がない。

サッカー以外のことにしっかりと自身の見識を持つ大人が、自制を効かせながら子どもに接し、サッカーを多角的に見ながら指導する…ということを、もっとみんな真剣に考えたほうがいいのではないか。

ラグビーが教えてくれる理想の社会と、サッカー指導者こそがすべきこと

今、ラグビーのワールドカップが日本で行われている。

日本代表チームの登録選手31名の中で、海外出身の選手は約半分の15名。日本国籍のない選手も7名いる。

日本を含め7ヶ国出身の選手達が一つになり、一緒になって戦ってくれている。

ラグビーは国籍主義ではなく協会主義、ということらしいのだけれど、国籍は違えどその国にルーツがあったり、その国で何年か暮らしていれば「代表」になれる資格が生まれるらしい。

そういえば、韓国人の選手も一人いますよね。

ラグビーのこのアイデンティティーは、これからの社会の理想ではないだろうか。

日本がどうの、韓国がどうの、国籍がどうの、なんて言っている場合ではない。

サッカーは一番自由なスポーツで、主体性がなければ始まらなくて、多様性を感受できないとやっていけない。国籍もルーツも肌の色も関係ない。

そんなサッカーというスポーツを通じて子どもに接していくサッカー指導者こそ、もっともっと、社会で起きていることに関心を持ち、この社会の未来に関心を持ち、人任せにせず、政治任せにせず、実際にアクションを起こしていくべきだと思うのです。

そんな背中を子ども達に見せることも、大人としての大事な役目なのではないでしょうか。

 

執筆者
久保田大介

LOBØS FOOTBALL CLUB(ロボスフットボールクラブ)代表。

「勇気、アドリブ、インテリジェンスと少しのユーモア」をコンセプトに指導しながら「サッカーを通じた子ども達の居場所づくり」を掲げ、クラブを運営している。様々な媒体で、育成に関連したコラムの執筆もしている。

 

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