運動量という抽象的な表現を超えて サッカーに必要なゲーム体力を考える

指導者のエゴによって、数多の選手がその才能の芽を摘まれた。

これは高体連に限った話ではなく、ジュニア育成についても例外なく見られる傾向である。

純粋無垢な選手に植え付けられる「耐え忍ぶ事で養われる精神力」や「ツライことは意味がある」といった思想が、オーバーワークを助長するケースは少なくないのだ。

ただ、この場合の罰走や走り込みを行わせる指導者の意図はあくまで「精神面・メンタル」の向上についてだ。

今回は罰走や走り込みについて、「ゲーム体力」という視点から考察していく。

持久力とゲーム体力

高体連の部活動でよくみられる傾向の一つに「運動量を高めて試合に勝つ」というアプローチの仕方がある。

確かに、サッカーは1試合当たり(90分)の走行距離の平均が約1112km、多い選手で13kmとよく走るスポーツではあるが、果たして過度な走り込みによって養われる「持久力」とはサッカーの「ゲーム体力」にどれ程因果関係があるのか。

まず、サッカーの競技性・特性にフォーカスする。

前述した通り、サッカーは1試合当たりの選手の運動量が非常に多い。

その上、アンチポゼッションや、ゲーゲンプレスを採用するチームが増えたことによるインテンシティ(強度)の増加、そのような様々な要素によって蓄積された疲労度の中でワンチャンスを仕留める高いプレー精度が現代サッカーでは求められる。

「運動量を高める」ことにのみフォーカスした指導者は、インテンシティや決定力、そして「どのような動作によって疲労は蓄積されるのか」などの観点を無視した「持久力」のことを、運動量と定義する。

ただ走れば良いというのは、あまりにも単純で安易な考えではないだろうか。

疲労度≠走行距離

選手の疲労を走行距離で判断するのは、一概に正しいとは言えない。(ただし、コンディションの指標として考えることは可能)

そもそも罰走や走り込みのように単一なスピードで延々と走り続けるシーンが試合中においては全くない。

ポジションごとに多少の違いはあるが、試合を決定づけるシーンの多くは相手を置き去りにする爆発的なスプリントや打点の高いヘディング(ジャンプ力)などによるもので、そのような高強度運動の前、選手はライン際でポジションを修正しているか、静止していることが殆どだ。

ゲーゲンプレスについても、自身のプレーゾーンを超えた瞬間に選手はボールを追うのをやめて、静止する(その間10秒に満たない)。

つまり、がむしゃらに走る(コンディショニングや心肺機能の向上を意図しないもの)ことで持久力をつけようというアプローチは実戦とはかけ離れたものであることがわかる。

練習効率やコンディショニングの観点から見ても、1日の練習時間(約90分)の中で過度な走り込みを行うのは最も重要な「ボールを使う時間」を選手から奪うことになる。

ボールを使う時間は、技術的な側面の向上だけでなく、上記したような実戦で想定されるフィジカルコンタクトやスプリントによる疲労度との向き合い方、ゲーム体力の向上も見込まれる。

指導者的観点から見て重要なのは、持久力や体力、運動量といった言葉の大枠を切り捨て、「疲労の原因」「アクションの種類」について細分化し、理解を深めることなのだ。

運動量という抽象的な言葉

指導者の中には「運動量」などの抽象的な言葉によって、無意識でオーバーワークを強制してしまうケースも少なくない。

「運動量を上げるためにひたすら走る」競技力向上をスキップしたオーバーワークが、勝利至上主義によって肯定される部活動、育成の在り方はいかがなものだろうか。

「運動量を上げるためにひたすら走る」ことが、選手のあらゆる意味においての成長に繋がることはないだろう。

 

執筆者
JEC

中高大のサッカー競技経験や高校サッカー指導経験を経て、SNS上での戦術分析、ブログ「フィジカル的観点で考える個人戦術」において、部活動や育成年代のサッカーに関しての情報発信を行う。

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