指導者が自身を育成することが育成の始まり

サッカーでは育成の重要性が益々認識されてきたが、それはとてもよいことだろう。幼児期・児童期・青年期と、人生においてあらゆる意味で土台作りの時期をサッカー中心に過ごすのであれば、育成の重要性はなおさら認識されなければならない。そして、育成を担う指導者も当然重要な存在になってくる。

育成は確かに大事なのだが

サッカーの育成年代においては、その重要性が認識され力が注がれつつも、それが過剰性を帯び、『勝利至上主義』や『指導者主体』に繋がり、大人のようなサッカー、良いサッカー、勝つためのサッカーをするための『早期専門化=早期大人化』『発育の無視=時間軸の欠如』、『根性主義』『非科学的なトレーニングや指示の横行』、『閉鎖社会におけるゆとりのない生活と思考様式の内面化』など、多くの問題点が挙げられている。

具体的に例にしてみると、勝ちにこだわった戦術を強いられるチーム。勝つためにプレーを限定されてしまう選手。毎日サッカークラブやサッカースクールで長時間練習している選手。サッカー以外の時間がない選手。努力・根性・気合・気持ちと連呼され、とにかく走らされ、激しさを強要される選手たち。指導者に意見も言えない関係性。はい、としか言えない関係性。コーチングとは思えない言葉を浴びせられる選手など・・・・

このような環境で育った選手たちは、優れた選手・人材へと成長してゆくのだろうか。これは理想的な育成だろうか。 

ポゼッションがどう、テクニックがどう、ドリブル練習がどう、「個」がどう、・・・巷で話題になるこれらのことは、育成で優先されるべき大事なことなのだろうか。

育成・選手・サッカーを多面的に捉える

上記に挙げたような問題があるとして、どうしてそのような問題が起きるのか。

FCLでは育成や選手、サッカーを「多面的に捉える視点の少なさ=学びの少なさ」がひとつの要因だと考えている。

例えば、

『サッカーはボールを足で扱えなければならないが、そのためには足だけでなく、全身を協調させて身体を上手く操作できなければならない。コンタクトもあり、様々な方向へ走ったり・跳んだりしなければならないことを考えてもそうだろう。体は食べたもの、吸収されたものからできていて、栄養状態は体の成長や怪我にも関係する。指導者の接し方で選手の自己概念はいかようにも形成されてしまう。怒られてばかりの選手は自信を持ってプレーできるのだろうか。自分を卑下しないだろうか。思考様式、言語理解、身体能力などの様々な発達には、個人差があり、段階があるそうだ・・・』

というように、そもそも絶縁的にサッカーの側面からのみ、サッカーや育成を考えることはできない。

サッカーはサッカーの側面のみから成り立っている訳ではなく、育成もサッカーのみから成り立っているわけではないのだ。

だから、選手をアスリートとして、サッカー選手としてだけ捉えるのではなく、大人ができること、理解できることを、大人の縮小版として同じように選手に求めるのではなく、『発展途上の全人格的な存在』として捉えられることが、育成指導を考える上では重要なのだ。

わかりやすいものは、役には立たない

サッカーをサッカーの側面のみならず、育成をサッカーの側面のみならず、選手をアスリート、サッカー選手としてだけではなく、大人の縮小版でもない、という深い理解の先に育成指導の可能性を感じている。

方法論や小手先のテクニックではなく、育成・選手・サッカー、対象への深い理解を得ることが重要なのだ。

サイト内では、サッカーのみならず、様々な分野の専門的な知識・考え方・捉え方を、ご専門家の方々にご協力頂き、記事ベース・音声ベース・動画ベースで掲載していきたいと思っているが、正直な所、すぐ使える、すぐ理解できる、といったポップなものではない。

読み解く、理解するのに時間がかかる、というプロセスこそが自身の血肉になるという意味において重要なのだ。わかりやすいものは、何の変化も生み出さず、役に立たない。だから、一つ一つのコンテンツを何度も何度も見て頂きたい。

認識を変える、捉え方を変える、視点を増やす、理解を深める、そういった意味において

『指導者が自身を育成する』

FCLもその道を皆様と共に歩んでいければ幸いである。

 

Football Coaching Laboratory代表 高田有人

 

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