スポーツトレーニング理論 哲学的原理

本稿は,スポーツトレーニング理論であって,スポーツトレーニング原理を探求するための道程を示す私論である。スポーツの専門家自らがスポーツの真理を追求し、真の姿を提起する素養の素地を養うことが肝要である。本私論は,その道程としての役割を込めて記したものである。

 

 近年、スポーツの社会における地理座標が変動している。プロスポーツ界においては莫大な利益をもたらす「コンテンツ」としての地理座標、学校スポーツにおいては教育としての地理座標、一般社会においてはスポーツを通した活力ある社会の形成と健康増進としての地理座標、国家においては国威発揚としての地理座標、スポーツは社会の中においてかつてないほど広範囲に浸透し普及し、多種多様な役割や期待を背負っている。スポーツが浸透し普及すればするだけスポーツの真の意味から遠ざかり、さらに役割や期待が増せば増すほど真の姿から外れていく。

 

 それはスポーツが無形価値で、概念、観念、現象のようなものであることに由来するからであろう。スポーツを利益稼ぎに利用する者にとっては商材となり、スポーツを教育として利用する者には教材となり、スポーツを社会装置として利用する者にとっては公共財となり、スポーツを統治に利用する者にとっては宣材となる。かのようにスポーツは無形であるがゆえに、それを利用する者の意に合わせるが如く姿かたちを変えるのである。

 

 今やスポーツの本質などは、スポーツを通して自己利益や自己目的達成を目論む、それらの者たちにとっては何の価値や意味も持たない。スポーツは単に都合のいい着せ替え人形のようなものとなることを意味するのであって、それはスポーツの真の意味と姿の浸透と普及にとっても利益をもたらすものであるとは言い難い。そしてスポーツはその真の意味と姿を求める者たちの下からますます遠ざかっていくのである。

 

スポーツを専門とする者は競技力や指導力、研究や修業を追求する以前に自らのスポーツに対する思想的洞観、真理の明察、善悪の眼識、先見の活眼を養成し研鑽せねばならない。それがひいては自身の専門家としての思想のよりどころとなり、基礎と指針、そして立ち位置と体軸となる。スポーツの真の意味と姿の浸透と普及がなされなければ、スポーツの専門家は、その存在価値や活動の場を失ってしまう。スポーツはますます専門家の手から離れていく。

 

スポーツの専門家は、現代のスポーツが置かれている状況や命運がいかなるものであっても確固たる理念と信念を持ち、スポーツの真の意味と姿の追求に余念なきよう努めなければならない。それがスポーツの文化的、社会的価値を高めることとなり、ひいてはスポーツの専門家としての専門性を高め、高度専門家への道を開くことに資するのである。

 

しかし、スポーツに携わる者の中の多くは「運動」と「スポーツ」の意味さえも理解していない。スポーツは運動である。運動によって身体文化が形成され、身体文化は身体運動によって成り、それは身体教育で、その手段が身体修練である。したがってスポーツは身体文化なのである。スポーツは単なる競技やレクリエーションではない。スポーツは人間の営み、人間事象、さらに人間や文化の歴史であって、それは人間科学、社会科学なのである。

 

執筆者紹介
小俣よしのぶ
現職
一般社団法人Sports Business Academy /FMチーフコーディネーター
石原塾 /スクール技術部統括マネージャー
経歴
筑波大学大学院修了
筑波大学大学院非常勤研究員
筑波大学産学リエゾン共同センター客員研究員
競技スポーツのトレーニング指導,高等教育機関教員を歴任し,大学や専修学校におけるコーチ・トレーナー教育に長年携わる
研究テーマ
社会主義国のスポーツトレーニングシステム,特に東独,キューバなどのシステム
強化システム,ジュニアユースからトップ選手までの適性選抜システム


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