2017.07.07
ジュニア年代において戦術指導は必要か、という問いの立て方の間違えについて
あのチームの選手は決まった動き方しかできない、指導者が動かしている、などと言われ、戦術指導は悪とされるような傾向がある。
また、ボールコントロールやボールフィーリングなどの取り組みへの執着が強いことからも、結局は「技術」「個」などと言われ、戦術に関する議論やそのものが軽視されているように感じる。
戦術と戦術力
「コーチング学への招待」では戦術を
最も合理的に目的を達成するために、対戦相手の行動や状況に応じて自らの行動を調整し、個人でまたは味方と協力して行う具体的、実践的な行為であり、その行為を観察者の視点から説明するために構築された理論であり、その行為を制御するために計画された構想である。【コーチング学への招待 P127】
とし、戦術力を
目の前の状況を個人でまたは味方と協力して合理的に解決する実践的能力である。【コーチング学への招待 P128】
と定義している。
そう考えると、勝利を目的とするスポーツにおいては、常に合理性・効率性が求められるため、戦術構想の基に各人がプレーすることを要求されるのは当然のことである。
また、常に情況は変化するため、それに対応する形での個人プレー、グループ・チームの共同作業により情況課題を解決することが求められることからも、全ての行為が「戦術的」である必要があり、「戦術力」こそがサッカーの競技者に求められると考えられ、もはや戦術や戦術力抜きに指導を考えることはできないと言っても過言ではないだろう。
戦術の機能
こういう時、こういう場所では、このようにプレーしよう、このように攻めよう、このように守備をしよう。
こういうフォーメーションではこういう攻撃をしよう、守備をしよう。○○のポジションの選手は基本的にはこういうプレーを心がけよう。
こういった原則を守りながらプレーの選択をしよう。
構想の共有、方針の決定、フォーメンションとその役割分担、行為原則などを決め「秩序作りや行動の方向づけを行う」ことが戦術の機能だ。
その結果として、個人やグループにおける戦術的思考に一定の方向性が与えられる。
もし戦術がなく、プレーが戦術的でなくなり、どのように情況を見るのか、その情況をどのように解決するか、どのようなプレーを選択するかが各々の自由な発想に託され過ぎていると、自己中心的な個人プレーが増えてしまったり、効率的な試合展開をすることが難しくなってしまうだろう。
ただし、一端試合が始まればタイムアウトが取れないこと、相手チームも戦術を持っていること、相手選手も戦術的思考をすることなどから、事前構想の全てが予定通りにいくわけもなく、選手の即興的な対応が求められるということからも(むしろそれが戦術力の本質的な部分と見なすことも重要ではないか)、忘れてはならない。
戦術指導をすべきか・すべきでないか
そもそも「戦術指導をすべきかすべきでないか」という問いの立て方が間違えで「サッカーにおける全ての行為は「戦術的」であるべき」という前提から考えるべきなのだ。
戦術とは、それに縛られ、全てを制限することを意味するのではなく、試合を秩序あるものとして成り立たせるためには欠かせないものであり、戦術的ではない行為こそが排除されるべきなのだ。
また、技術力がないのに戦術はないだろうという風に「戦術絶対悪」を標榜する指導者も多いが、確かに技術力が戦術的な広がりを持たせるのだが、戦術的な構想や戦術的思考が技術力を方向づけるという側面も忘れてはならず、技術と戦術は分割不可能な関係にあることをいつも念頭において置く必要がある。
おおよそ、戦術やその指導が悪とされる場合、型にはまったプレーしかさせない、ベンチから指導者が永遠と指示を出している、選手にとっての意味や価値、探索を超えて指導者が主体になっているなど、様々な他の要因との絡み合いで問題がすり替えられてしまっているように感じる。
また、選手の自主性や創造性、判断などの言葉の中身が議論されずに神聖化され、まるで「教えないこと」「指導しないこと」が指導だという風に美化されていることも問題と言えるだろう。
文献
コーチング学への招待 大修館書店 2017
※こちらも合わせて読んで頂けると理解が深まります。
サッカーにおけるボール操作の連続性と個人戦術に関して
https://fcl-education.com/training/performance/fcl-soccer-skills-tactics/
執筆者
Football Coaching Laboratory