2017.01.23
精神と心の違いを考える 根性論と精神論の違い①
根性が足らない、ハングリー精神が足らない、気合いが入っていない、スポーツやトレーニングの現場でよく聞く言葉ですが、そもそも精神と心とは何が違うのか?根性と精神の違いをただ言葉が違うというだけで使っているのか、どういう時に使い分けているのかということについては、実はうやむやというのが現状だと思われます。そこで今回は、根性と精神、そして心と精神の違いを私の解釈の中から書いてみたいと思います。
そもそも、根性は論ずるものではない
理性と本能、理性とは頭脳が後天的な教育の中で学んで頭に入れるものと言えます。その多くは「してはいけない」「こうするべき」というような規制をするものです。それに対して本能とは動物が生きるために必要な欲求であり、頭で考えるというより身体がそうさせる行動と言えます。人は人という動物で生まれ、教育と言う環境の中で人間に成長していくものです。動物における行動の基本は「快」と「不快」です。
動物における本能的欲求とは「空になればそれを満たし、満たされれば欲求はおさまり、そしてまた空になればそれを満たす為に行動をする」と言うものです。食欲、色欲、睡眠欲は哺乳類における生きるための三大欲求と言えます。さらに名誉欲、所有欲という2つの欲求が加わりこの三大欲求を効率よく機能させることになります。
「勝ちに飢えている」とか「負けて悔しくないのか」というものも、その根っこにはそれが「快」か「不快」か、というものがあります。ではこの「快」と「不快」はどこがそれを決めているのでしょうか?これを考えるときには精神と心を分けて考える必要が出てきます。しかし、これについてはいろいろな意見、学説があるのですが、明確な答えがないのが現状と言えます。そこで、ここでは一般的な発生学、進化学、文明論という切り口から説明をさせていただきます。
脳を持たない動物はたくさんいますが、内臓を持たない動物は一匹もいません。そもそも脳とは神経節が環境への適応という変化をとった時にできた進化の結果と言えます。動物の基本は「感動」であると言えます。つまりは「感じて動き、動いて感じ、また感じて動く」という単純な入力と出力の繰り返しなのです。
環境の変化を感じ取り、自分の身体の状態を感じ取る。そこから最善の方法をとれた生き物が生き延びてきたと言えるのです。「場の空気を読む」とは、動物の生きるためのもっとも基本的な能力なのです。水に合うとか合わないというのも、この自分の内部環境(性格、気質、体質など)と自分を取り囲む環境(気象、人間関係なども)との相性、つまりはそれが「快」か「不快」か、という頭脳はもちろん、肉体と肌で感じる感覚と言えます。
心はどこにありますか?どこにあるか指さししてください、という質問にあなたはどう答えますか?頭を指さす人、胸を指さす人、空を指さす人。では精神はどこにありますか?という質問には、あなたならどう答えますか?
精神も心も目には見えません しかし精神や心は肉体を通して目に見えるのです。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」。では心はどこに?闘争心と競争心はそこから生まれる行動、行為に違いがあるのです。頭脳が生み出す精神と、肚(内臓、五臓六腑)が生み出す心。ハングリーとは空腹感。ハングリー精神とは、これすなわち理性と本能を掛け合わせた言葉と言えるでしょう。次回は精神と心を日常生活の中でよく使われる言い回しを例として考えていきましょう。
執筆者紹介
内田真弘
1970年3月10日生まれ
神奈川衛生学園専門学校 東洋医療総合学科 教員
横浜国際プールはりきゅうマッサージ室 室長
筑波大学 理療科教員養成施設 非常勤講師
東京衛生学園専門学校 東洋医療総合学科 非常勤講師
東京衛生学園専門学校 臨床教育専攻科 非常勤講師
ヒューマンアカデミー横浜校 トレーナー科 非常勤講師
ドイツ VPTアカデミー 認定 スポーツフィジオセラピスト
ドイツ VPTアカデミー 認定 PNF
神奈川衛生学園専門学校東洋医療総合学科卒業後、ドイツ、フェルバッハにあるVPTアカデミーフィジオクラスに招聘され、スポーツフィジオ、マニュアルセラピー、PNFなどのアシスタントを務め、帰国後は各種専門学校での講義、治療院での患者さん、アスリートの治療、指導にあたる。日本サッカー協会主催の第56回サッカードクターセミナーでは「スポーツ競技に対するゼロ式姿勢調律法の有効性」を講義。神奈川体育センター主催のアスリートサポート講座での姿勢と呼吸についてのセミナーや、神奈川県体育協会主催での「PNF]セミナーなど各地で講演なども行う。指導しているアスリートもプロ野球、スピードスケート(オリンピック日本代表選手)、フィンスイミング日本代表、プロボクサー、サッカー、レスリング、テニス、ダンスと幅広く行う。