近代スポーツの成り立ちから見るスポーツの本質

スポーツとは運動にある要素を加えないとスポーツにならないのです。

それは「遊び」です。

スポーツでは「ゲーム(game)をプレー(play)する」とよくいいます。

試合のことをゲームと呼び、またゲームの参加者のことをプレーヤー(player)と呼びます。

playには「遊ぶ」という意味があります。

つまり、スポーツは「遊び(プレー)」なのです。

スポーツ=遊び

遊びは、誰かに強制されるものではなく、自ら楽しむもの。

一般的に親は子どもに「ゲームをしなさい」とはいいません。

これはスポーツも同じことなのです。

強制されて楽しむものはではありません。

スポーツは自ら楽しむものなのです。

スポーツは確かに遊びの一種ですが、ただ楽しむというだけでなく真剣でなければなりません。

それは勝敗をかけた競争、つまりゲームだからです。

スポーツとは「運動を通して競争を楽しむ真剣な遊び」のことなのです。

スポーツと文明化

スポーツは歴史的にいうと、近代になって一部の娯楽がスポーツ化されたものと考えられています。

ここでいうスポーツ化とは「文明化」とほぼ同じ意味です。

その特徴は暴力を抑制することでした。

そのためにルールが誕生し、フェアプレーという考え方が採用されたのです。

そもそも近代以前には、条件を同じにすることが「フェア」だという考え方はありませんでした。

イングランドでは18世紀において、暴力を用いないで、権力を譲渡するシステムができていきました。

対立する権力者間の戦闘を回避する議会制度が発達したことと、スポーツが「文明化」したことは偶然ではありません。

近代スポーツ誕生の背後には国家による暴力の独占、つまり革命を抑制しうるシステムと、それに由来する国内の相対的な安定化という政治的背景がありました。

フットボールからスポーツについて考える

たとえばフットボールについて振り返ってみましょう。

19世紀前半のイングランドでは、パブリックスクールでボールを蹴り合うフットボールというゲームが(サッカーの原型)が流行していました。

当時の目的はゲームを楽しむことというよりも、むしろ勇気や荒々しさを競うものでした。

まだサッカーとラグビーが別れる前のことです。

当時のルールの中に、「靴の先に鉄などの金属を仕込んではいけない」というものがあります。

これは、金属で蹴ると相手が大変なケガをするからです。

逆にいえば、その頃のフットボールでは、相手を蹴ってもいいことになっていたのです。

また相手をつかんで投げ飛ばすことも許されていたようです。

当然フットボールでは怪我も多く、上級生が下級生をいじめる場になっていました。

そこでラグビー校のトマス・アーノルド校長が「手を使ってはいけない」「相手を蹴ってはいけない」などのルールをつくり、野蛮なものであったフットボールに、立派な振る舞いを身につけた文明人を育てるための教育的な要素を加えました。

アーノルド校長は「スポーツは紳士(ジェントルマン)を育てる場」にしようと考えたのです。

弱い者いじめをせず、フェアプレーを貫き、立派な行いをすることが「スポーツ」だという考えが生まれ広がっていきました。

産業革命以後、都市化と文明化が進み、社会的にも野蛮さが嫌われるようになってきました。

同時にスポーツでゲームを楽しむという考え方がどんどん広まっていき、多くのパブリックスクールがフットボールを採用するようになりました。

1863年、ロンドンで各校の代表者が集まって、フットボールの団体(FA)をつくり共通のルールを定めました。それがサッカーの始まりです。

「手を使わない」というサッカーの最も基本的なルールが生まれたのは、元をたどると野蛮な暴力を排除することがきっかけだったのです。

1834年以来「イートン」「ハロー」「ウィンチェスター」の3校によるクリケット定期戦「パブリックスクールマッチ」が続いていましたが、1855年、ウィンチェスター校のモバリー校長が「クリケットをする生徒は勉強を怠ける」として脱退を宣言しました。

これに対し、同校のOBたちが「ウィカミスト会」というOB会を結成し、定期戦への復帰を嘆願します。

これが「ウィカミスト論争」です。

ウィカミスト会は「男らしさ」「紳士的振る舞い」「他者に対する尊重」「忍耐」「勇気」「独立心」「自制心」「決断力」など社会的資質の鍛錬、道徳や人格形成に役立つという、スポーツの効用を強調しました。

これを受け、1850年代にはすでに「スポーツは紳士を育成する場である」という意見広告が新聞に掲載されていました。

1860年代には、ビクトリア女王からパブリックスクールについて調査を命じられたクラレンドン伯爵が「パブリックスクールでは、生徒が自発的なレクリエーションとしてスポーツを行っているが、フィールドは大人になるための社会的な資質を身に付ける場となっている」といった調査報告を議会で行っています(クラレンドン王立委員会報告)。

このように、19世紀になって文明化が進む中で、暴力を避けるためにルールやフェアプレーという思想が組み込まれ、近代スポーツは英国で完成されていったのです。

スポーツの本質

「勝利を目指して競争すること」

快楽ですが困難でもあります。

結果によって喜ぶこともありますが、悲しむこともあります。

そのことに向かい合いながら真剣に楽しむのがスポーツの本質なのです。

 

執筆者
福士唯男

株式会社アスリートプランニング バルシューレ事業部統括マネージャー
一般社団法人日本スポーツマンシップ協会 理事
NPO法人バルシューレジャパン 理事

 専門競技はハンドボール。東海大学卒業後、日本ハンドボールリーグで10年間プレー。引退後、ビーチハンドボール男子日本代表監督として世界選手権に出場した。その後、小学生スポーツに携わるようになりバルシューレの普及、指導者へのスポーツマンシップの啓蒙を行っている。

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