スポーツトレーニング理論 哲学的原理 vol2

本稿は,スポーツトレーニング理論であって,スポーツトレーニング原理を探求するための道程を示す私論である.スポーツの専門家自らがスポーツの真理を追求し,真の姿を提起する素養の素地を養うことが肝要である.本私論は,その道程としての役割を込めて記したものである.

近年,世界はグローバル資本主義の波に翻弄されている.グローバリゼーションの波は経済のみならず人間事象であるスポーツにも影響をもたらしている.スポーツはグローバリゼーションの勢いに乗じてインターナショナル化し身体文化から逸脱しよとしている.それが「運動」と「スポーツ」とは異なる概念として分離している理由の一つでもある.「運動」はネイション的,言い換えると土着文化である.したがって地理的側面の影響を受ける.スポーツはグローバル的である.スポーツは規則などが統一化される,言い換えると国際的に標準化されるのである.したがって国境や文化,風土に遮られることなくグローバルに浸透普及するのである.

スポーツがタニマチ文化であって自立していないと仮定するとスポーツは活動の糧となる原資を他者に依存せざるを得なくなる.スポーツ発達史を見れば,それは明確でスポーツは貴族の戯れと市民の非日常的行為と労働者の欲求のはけ口として成立してきた.スポーツは権力により保護されたり,逆にすり寄ったりすることで,今日の繁栄を謳歌しているのである.

経済のグローバリゼーションは資本やマネーの地球的規模的移動を可能とし,資本にとって地理的制限などはなんの意味も示さず,それは無制限に国境を超えることを示唆している.グローバリゼーションの下ではスポーツも資本も水が高きより低きに流れるがごとく,国境を超えそれらが浸透していないところへ流れていくのである.スポーツは資本を利用し,資本はスポーツを利用し.

先人は言う,歴史に学べと.運動,スポーツの歴史は?スポーツに携わる者はどれほど,その歴史から学んでいるのだろうか?スポーツ科学は,その分野が確立されて,たかだか六十年ほどしかない浅い学問である.しかし,運動は人の営みと共にあり,それは人間の歴史イコール運動の歴史,それがスポーツの歴史である.スポーツが遊びから発生したのか,祭礼から発生したのか,また労働から発生したのか,宗教の伝道伝播に伴い運動とスポーツが浸透したのか,時代の変遷に連れて運動とスポーツも変化したのか,人々の欲求が具現化したのか…諸説あるが,いずれであっても運動は人間事象から発生するもので,そしてスポーツ化していく.

運動,スポーツの歴史に学ぶということは,その足跡を知り,そして次の道標を概観する予測地図となる.運動,スポーツの歴史学習とその知見なくしてスポーツトレーニング理論の原理と真の姿の追及は,その目的に達することはできないのである.

スポーツトレーニングとその理論は,そもそも,それは哲学的原理で,試行的実践である.それは視点を変えると思想思考と行為行動のせめぎ合いと融合である.せめぎ合い,融合することで新たな思想思考が生まれ,それが行為行動となって,さらに新たなせめぎ合いと融合による批判と試行的実践が再び繰り返される.それは定量的事象と定性的事象のせめぎ合いと融合による破壊と建設,濃縮化と浄水化を経た純水化である.

スポーツトレーニング理論は思考原理,行動原理である.スポーツは運動で,それは人間事象,文化である.スポーツについて思考する場合,人間のその事象,文化をどのように捉えるかが肝要である.スポーツトレーニングを行動する場合,その思考に基づき体現されたことが重要である.思想と行動を融合させることで文化的人間事象であるところの原理になるのである.このように螺旋的試行/思考過程の中で試行的実践であるスポーツトレーニングが哲学的原理であるスポーツトレーニング理論へと昇華されていく.

かくして哲学的原理視座によるスポーツトレーニング理論の考察を進める.

 

執筆者紹介
小俣よしのぶ

□現職
一般社団法人Sports Business Academy /FMチーフコーディネーター
石原塾 /スクール技術部統括マネージャー
経歴
筑波大学大学院修了
筑波大学大学院非常勤研究員
筑波大学産学リエゾン共同センター客員研究員
競技スポーツのトレーニング指導,高等教育機関教員を歴任し,大学や専修学校におけるコーチ・トレーナー教育に長年携わる
研究テーマ
社会主義国のスポーツトレーニングシステム,特に東独,キューバなどのシステム
強化システム,ジュニアユースからトップ選手までの適性選抜システム

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