ジュニア年代ににおけるパスサッカーの弊害 ゴールを目指す意識の欠如について

指導現場では、本来は「手段」であるにも関わらずそれ自体が目的化してしまう「手段の目的化」は起きやすい現象の一つである。

ボールポゼッションを高く保つ、ということもそうかもしれない。

サッカーの目的は相手より多くゴールを奪い勝利すること。

だから、目指すべきは「ゴール」であり「縦」だ。

ポゼッションを高めることは、そのための「ひとつの手段」であるはずなのに、ボールを失わないこと、ボールを回すこと、が目的の「パスサッカー」となってしまっている現象はよく見受けられる。

パスサッカー=ボールを失わないことを意識させすぎると

パスサッカーでは、ファーストタッチで相手を外すこと、仕掛けること、ボールを持つこと、ロングパスをすること、ミドルシュートを打つこと、スピードアップすることなど、ボールを失いそうなプレーは極力避けることが求められる。

本来、これらのプレーを精度高くできるのであれば、チームとしても望ましいことだし、日本人に足りていないと言われるプレーでもある。

しかし、パスサッカーを信奉する指導者やチームにとっては排除されるべき悪しきプレーなのである。「積極性」よりも「確実性」という名の「消極性」が求められるからだ。

この手のスタイルでサッカーを続けていると、ゴールを目指すプレーよりも、後ろや横への選択しかしなかったり、ボールを持つ事が出来ない、仕掛けることができない、スピードアップできない、シュートを狙わないなど、俗にいう「怖くない選手」になってしまう恐れもある。

もちろん、そのような環境でプレーし続けることで、自ら判断し行動できる自立した選手になど育つはずはない。

ジュニア世代はトライ&エラーと全面的な能力の向上

ジュニア年代は、積極的にプレーし、トライ&エラー、成功体験と共に失敗体験を積む中で、様々な能力を獲得すべきだ。そして全面的な能力を向上させるべきである。

指導者の「好み」や「スタイル」で偏ったプレーをさせたりするべきではない。

一定の規則を課すことは良いとしても、選手が自ら判断し、選択し、行動するように促すことが重要で、それはパスサッカーのみならず、他の全ての「偏りのある指導」にも言えることだ。

勝利至上主義の問題が声高に叫ばれているが、パスサッカーでも、個の育成でも、ドリブルでも、そういった意味で指導者主体であれば、どちらも育成においては同じように害なのだ。

どこを目指すのか、誰がプレーをするのか、特に意識する必要がある。指導者がサッカーの全てを知っていて、全てを教えられる訳ではない。ましてや、プレーするのは指導者でもない。

ただ、自立や主体性を神聖化し、「なにも教えない」「何も指導しない」という極端なスタンスを取るのであれば、指導者の存在意義はない。

 

執筆者
Football Coaching Laboratory

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