2017.04.05
なぜあの選手は逆サイドが見えないのか~指導者のコーチングを考える~
なぜ逆サイドが見えないのか。
なぜ後ろから来ている相手に気が付かないのか。
なぜそこでドリブルをするのか。
なぜ?なぜ?なぜ?という風にして選手にいら立っている指導者は多いように感じる。
指導者の声は選手に「届いて」いるのか
運動学という学問では「観察者の位置の違い」という考え方がある。
指導者はベンチに座った「静」という状態から試合(選手達の動き)という「動」を見ている。
一方選手は、常にプレーしながら、という「動」の状態から「動」を見ている。
指導者は全体を俯瞰できるけれども、選手は全体をみること、そして自分自身を見ることができない。
つまり、指導者と選手では、見ている世界や体感している世界は全く違うということを押さえておく必要があるのだ。
自分の立場から見たまま、感じたまま、理路整然とコーチングをしたとしても、それが選手に届かず一方通行になってしまっている可能性があるということであり、選手が理解していない、言ったことを聞いていないと、罵倒を浴びせたり、機械的にプレーをさせ、過剰な指導で選手の体験による学びの機会を奪うようなことがあってはならない。
共感力や想像力 選手への要求が高くなりすぎないこと
指導者に大事な能力の一つに「共感力」「想像力」というものが挙げられるだろう。
選手が何を見て、どのように感じているのか、それを想像し、共感する能力が重要なのだ。
その上で選手に伝える。
「想像」「共感」なくして、選手と信頼関係を結ぶことはできず、伝わるコーチングができるはずもない。
また、指導者が求めるプレーは、大人基準になりがちなため、選手への要求が高くなりすぎないように注意も必要だ。
選手目線になることに加えて、技術力の安定性、身体成熟度など、あらゆる要因を考慮し、経験に応じてできるようになることや理解できることがある、ということを忘れてはならない。
外と内は違い、選手は大人の縮小版ではなく、プロアスリートの縮小版ではないのだ。
なぜできない。
これは指導者のあらゆる意味での力量不足であり、選手に対して思うべき、使うべき言葉ではないだろう。
※こちらも合わせてご覧ください。
名コーチは必ずしも名プレイヤーに非ず 「指導者主体」という問題について
https://fcl-education.com/raising/independence-coaching/non-not-a-name-to-the-director-name-player/
執筆者
FootballCoachingLaboratory代表 髙田有人
Football coaching laboratory代表。選手時代にはブラジルでの国際大会や、数多くの全国大会を経験。高校卒業と同時に指導者活動をスタートし、地域のジュニア年代で約10年の指導経験がある。ドイツへの短期留学やサッカーの枠を超えて、教育学、スポーツ思想・哲学、身体論など様々な分野に精通しており、全人格的な育成の可能性と実践、そのための指導者の養成をテーマとし活動している。