「質」より「量」の弊害 日本的サッカー指導の問題点について

練習量は世界一の日本

良くも悪くも、日本の育成年代の指導方針・環境は異質である。

二部練習は当たり前、長時間行われる走り込みをベースとした練習も後を絶たない。

「量よりも質」をなんとなく意識する指導者は多くとも、どの程度の練習時間が最適な量になるのか、指導者それぞれの認識は曖昧な印象を受ける。

練習時間という点で、サッカー先進国のスペインの場合、ジュニア世代で世代で75分程度、その上の年代でも最大90分程度である。

普段1日に何本も試合をこなしたり、二部練習をしている選手からすればかなり短い印象を受けるだろう。

しかし言うまでもなく、スペインは日本よりサッカーが強い。

スペインと比較せずとも、イングランドの育成年代を例にあげても同様のことが言える。

日本はどの国よりも長い時間練習しているはずなのに、何故かサッカー先進国に追いつけない。

このような「頑張り損」が起こる原因を文化的な背景も交えて考えていこう。

多角的にトレーニングを観る

どんなに先進的なトレーニングを行っても、栄養摂取、休息(睡眠)が欠如していれば選手のパフォーマンスは向上しない。

この基本要素のどちらかが欠けた時点でそのトレーニングは意味をなさなくなると言っても過言ではない。

日本人が「休むことの大切さ」を軽視しがちなのは言うまでもない。

過労死という言葉がそのまま英語になる程、この「休んだら負け」の精神は日本人の心に強く根付いている。

練習を誰よりも頑張っているというと聞こえが良いが、これは単に練習効率の観点を無視している、あるいは、トレーニングに関しての知識不足であると評価されても不思議ではない。

長時間にわたる練習はよりネガティブなものとして認識されるべきである。

育成年代における誤った目標設定

多くの部活動が目標に設定する「選手権」の存在は極めて異質である。

高校生の試合に50000人が集まるという例は間違いなく日本だけのもので、またそれがクラブユースではなく部活動であるという所がより一層異質である。

育成年代が注目されるという点においては賛否があるだろうが、注目されているわりに扱いはぞんざいで、大会日程は常に過密な上に、高校ごとに先端的な指導環境が保証されているわけでもない。

その上、怪我を押してまで試合に出場させる、あるいは練習させるようなチームも少なくない。

余りにも大きすぎる注目が、その先にある大学サッカー、プロや社会人といった選択肢を高校生から奪っているケースも少なくないだろう。

選手権で活躍できれば何でも良いというマインドの刷り込みは知識のない高校生から将来の選択肢を奪っていると言っても過言ではない。

そう言った点で、仮にその選手がプロになったとしても、引退後サッカーしか知らない状態で世間に放り出される危険性が非常に高い。

日本人プロ選手のセカンドキャリアが問題視される原因の一つがここにあるのかもしれない。

勝利にこだわる事が重要なのは言うまでもないが、目の前の相手に勝とうとする意識と選手権のように具体的目標にフォーカスして「その為に」勝とうとする意識というのは似て非なるものだ。

育成年代においてこのような勝利至上主義の浸透は、戦術の単一化を促進する。

本来育成年代ではより多くの戦術アプローチをインプットすることがマストではあるが、選手権等の具体的チーム目標の設定がこれらの重要なフェイズをスキップさせる。このように「育成」に重きを置かず、選手権等の大会で、勝利する事だけを目標とする「育成年代」、そのような指導が蔓延しているのがサッカー先進国と言われる国との大きな差と言えるだろう。

切っても切り離せない食生活の違い

どんなに効率的なトレーニングメニューよりも、最も重視されるべきは食生活・栄養管理の点である。

特に身体が発育発達する重要な時期である育成年代において、食事の内容、取り方はよりセンシティブになる必要がある。

この点、長時間の練習が生み出す負の連鎖は、練習効率のみにとどまらず、栄養管理の部分にも影響を及ぼす。

大前提として、アスリートは練習中、また普段の生活の中で消費されたエネルギー分を食事でエネルギー摂取する必要がある。

しかし、長時間練習で拘束された場合、選手はエネルギー枯渇状態であるにもかかわらずエネルギー摂取する事が出来ないので、結果的に身体的なパフォーマンスを低下させる。

外国人選手とのフィジカルの差の主たる原因はまさにこの「長時間練習によって引き起こされる栄養失調」であると言えるだろう。

このように練習のみを意識してしまうことで、見落とされがちな「食トレ」もパフォーマンス向上の必須要素であるのだ。

ただしここで言う「食トレ」は高体連の合宿等でよく見られる吐くまで白米を食べる事とは大きく異なる。

その点、食事の摂取方法として「補食(間食)」はより重視されるべきだ。

基本的に、13食をベースとした食生活はアスリートにお勧めできない。と

いうのも、1日に消費された分の大量のエネルギー摂取をする際、13食の場合、1度の食事量は必然的に増加する上に、消化器系にその分の負担も大きくなる。

その上、選手はすでに長時間の練習により疲労困憊で、食事を食べるモチベーションもない。

おそらくブラック部活出身者の中には練習後疲れてそのまま玄関で眠ってしまった、そんな経験のある方も少なくないのでは無いだろうか。

言うまでもなくそのような状態で長時間の練習で消費した分のエネルギーを補うのは余りにも酷だ。

直向きさと集団意識を持つ国民性

ポジティブな部分を考えれば、やはり日本人は真面目で、高い向上心がある。

そして、何より集団意識が強い。

上記したような、理不尽な事にも弱音を吐かずに食らいつく精神力は、ある種の同調圧力によるものだと考えることもできるが、それだけ一つのものに向かっていく直向きさをもった国民性だと言えるだろう。

それ故に、それを指揮する指導者の質がより大きく結果に影響する。

高い向上心故に、選手は一部指導者の理不尽に対しても、「それを乗り越えれば強くなれる」という意識の刷り込みによって、何の疑いも持たずにそれを実行してしまうのだ。

つまり、指導環境の改善次第では爆発的に力を伸ばす可能性を持った国民性であるだろう。

精神論からの脱却

長時間の練習は選手の時間を奪うことに等しい。

たとえ熱心な選手がそれを望んでいたとしても指導者側は教育者として、将来の選択肢がより広がるように、極力選手を束縛するのは避けたい所ではある。

しかし前述した通り、「休みの大切さ」と「量より質」を意識した指導者は日本の高体連では特に少ない。

また、育成年代は選手の発育発達でおいて非常に重要な時期である。

身体の成長において食生活が重要なのは言うまでもないが、その点も軽視されているのが実際のところだ。

このように、精神論をベースとした長時間の練習は、効率性の観点のみならず食生活等様々な部分に悪影響を及ぼす。

また、このような長時間練習の根底にある精神論と、それを助長する選手の「育成」を目標としない、育成年代の誤った目標設定が蔓延る限り、サッカー先進国とされるチームに追いつく事は不可能である。

指導者が正しい知識を持ち、よりトレーニングを多角的に見る事が今後の日本サッカー界に求められている。

 

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「罰走・体罰」古典的指導がもたらす悲劇 部活動における問題からジュニアサッカーを考える
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執筆者
JEC

中高大のサッカー競技経験や高校サッカー指導経験を経て、SNS上での戦術分析、ブログ「フィジカル的観点で考える個人戦術」において、部活動や育成年代のサッカーに関しての情報発信を行う。

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