2017.12.13
サッカーの楽しさとは何か 勝つこと上手くなることを超えて
相手との競争のみならず、チーム内での競争も激化し、レギュラー/非レギュラーという序列が生み出され、トレセンの合格や、より有名で強いチームへの移籍や進路に多大な関心が寄せられている。
指導者は、幾つのタイトルを取るか、強いクラブへ何名選手を輩出できるかなどへの関心、「どうすればチームが強くなるか」「どうすれば選手は上手くなるか」という情報にしか興味がなく、選手を「上手-下手」、「できる-できない」という観点から捉えてしまう傾向にある。
育成空間は大人(親含め)の論理で回り過ぎ、「勝利」「優勝」「選抜」「進路」などに価値が置かれ過ぎているのかもしれない。
スポーツと遊び
さて、スポーツ社会学では、スポーツを「遊び現象」として位置づける。
遊びを一義的に捉えるのは容易ではないが、「自由」「自発的」「解放」などの精神的な態度が特徴として挙げられ、総じて「楽しさ」を中心に据えた活動と言える。
また、勝つこと、優勝すること、強いクラブに入ること、プロになることなど、何かを目的とした活動ではなく、活動自体が目的なことも、遊びの特徴と言えるだろう。
スポーツ=遊びであるならば、サッカーは「楽しく」なければならないし、サッカー「を」楽しむことが重要で、選手の「プレイ精神」が尊重されねばならない。
勝たなくても、トレセンに選ばれなくても、プロを目指さなくても、本来的にはサッカーは楽しむことができ、それを「弱者や敗者の論理」と弾くべきではないのだ。
育成環境は、関わる大人が、無批判・無自覚であると、「勝利」「優勝」「選抜」「進路」のみに価値が置かれる空間が作り出されてしまう。
残念ながら、そのような空間では、遊び的要素は忘れ去られやすく、主体である選手は置いてけぼりにされ、「楽しむ」という表現は嫌悪され、「行き過ぎやり過ぎ」「早過ぎ偏り過ぎ」とも言える指導や要求がなされてしまう。
サッカーを楽しめる、ということ
声高に叫ばれる、ジュニアスポーツの問題の多くは、関わる大人の「スポーツ観」や「育成観」の乏しさからくるものだ。
そしてそれは、選手達へと伝染してしまう。
楽しめないのであればスポーツではない。そんなサッカーはするべきではない。
あえて、ジュニア期ではそう言わなければならないだろう。
また、有名で強いクラブに選手を輩出すること、プロサッカー選手を育てることだけを「育成の成功」と勘違いしてはならない。
どんなクラブに行こうが、どんな職種に就こうが、人生の中でサッカー「と共に」生きていきたい、と思える選手が育つことも素晴らしいことであり、育成とは、そのような部分にも関わっているということを忘れてはならないのだ。
※こちらも合わせて読んで頂けると理解が深まります。
「育成と勝敗のどちらが大事であるか」という二項対立の図式から考える
https://fcl-education.com/raising/sportsmanship/junior-football/
名コーチは必ずしも名プレイヤーに非ず 「指導者主体」という問題について
https://fcl-education.com/raising/independence-coaching/non-not-a-name-to-the-director-name-player/
指導者が自身を育成することが育成の始まり
https://fcl-education.com/raising/sportsmanship/sidousha-jishinwo-ikusei-ikuseinohajimari/
執筆者
Football Coaching Laboratory代表 髙田有人
選手時代にはブラジルでの国際大会や、数多くの全国大会を経験。高校卒業と同時に指導者活動をスタートし、地域のジュニア年代で約10年の指導経験がある。ドイツへの短期留学やサッカーの枠を超えて、教育学、スポーツ思想・哲学、身体論など様々な分野も学び、全人格的な育成の可能性と実践、そのための指導者の養成をテーマとし活動している。