スポーツの文化的価値とは何か 勝敗以外の価値について

スポーツの世界に「リベンジ」はありません。日本ではリベンジを「再戦」や「復活戦」のような意味合いで使うケースが多いですが、リベンジとは本来「復讐」「恨み」「報復」という意味です。

リベンジした選手は、「仕返ししてやった!」「いい気味だ!」「相手より自分の方が本当は強いのだ!」ということを誇示しているかのように見える振る舞い方をしています。

また、メディアは「敵」「下克上」といった言葉を多用します。

このような言葉が子ども達に与える影響は大きいのではないでしょうか。

知らず知らずのうちに、スポーツの世界に縦社会や権力による支配があることを認識させ、指導者と選手の関係が平等ではないことをすり込ませているようでならないのです。

スポーツの世界に敵はいないし勝敗の順位は権力の上位下位を表すものではありません。

2020に向けメダル獲得数に価値をおく日本のスポーツ界はあまりにも勝敗に執着し過ぎ、スポーツの持っているポジティブな文化的価値をどんどん失わせているような気がしてなりません。

スポーツが抱える問題と社会問題

では、何故このような現象が起きるのでしょうか。

1970年代にアメリカのスポーツ心理学者ドーカス・スーザン・バットは、現代スポーツの流れは、①相手を打ち負かしたいという攻撃本能、②優越感を得たい、あるいは劣等感を克服したいと思う神経症的葛藤、③人間として必要な能力を開発しようという能力動機④外部的強化要因(所得・地位・名誉)の流れに沿っており、自己啓発動機―協調動機―内部的強化要因(信頼感・一体感)は全くないと警告しています。

私は、競争原理に支配されている昨今のスポーツを見ていると、今も尚この流れは続いているのではないかと強く感じます。

また、この流れはスポーツ界だけではなく「虐待」「いじめ」「あおり運転」など一般社会で起きている問題にも通ずるものがあるのではないでしょうか。

蛮力による支配、動物的衝動は、幼い子が怒ってすぐに暴力を振るう行動に似ています。

子どもの場合、怒りを言葉で表現する左脳が育っておらず、右脳だけで反応しているからですが、大人はどうなのでしょうか。

人は他者の表情や仕草で感情を共有する能力を持っています。

しかし感情は多様で、自分とは違うこともあるのだということを理解するのは、直接心の中を見ることはできないので難しいことです。

いろいろな人と交流し、自分とは違う多様な他者との出会いや自他の衝突、その解決体験の積み重ねで、自分とは違う他者の心の理解を深めるのだと思います。

ものの豊かさ、通信手段の変化、少子化など環境の変化が、子どもにも大人にも多用な人間関係や自己抑制の機会を乏しくさせてしまいました。

心の理解は大人になれば自動的に生じるものではないし、自分が経験したことのない感情を理解することは難しい。

何故ならお互いを理解するには喜怒哀楽のある多様な経験が必要だからです。

何事も自分中心で済んでしまう人間関係しか持たない人は、他者の感情を共有する能力が育ちません。

昨今のスポーツが抱える問題、社会問題は一種の「心の発達障害」が表面化したものだと言えるのではないでしょうか。

そして、人はこのような社会的な問題に直面すると教育に問題があるのではないかと考える傾向がありますが、教育をよくすれば解決できるのでしょうか。

私はそう簡単なことではないと思っています。

教育は万能ではないし、できないことも多くある。

しかし、「教育でできないこと」があるなら「スポーツならできること」もあるかもしれない。

「スポーツならできること」

いろいろな人と交流し、自分とは違う価値観と出会い、他者の心や感情を発見し、自分とは違う他者の心の理解する場を提供できるのがスポーツではないでしょうか。

失われた人と人が交わる環境を取り戻すためには学校教育だけではなく、幼児から高齢者まで異世代の人間が交流できる場所の創出をスポーツ界は担っていくべきです。

勝利至上主義の問題

話を現代スポーツの流れに戻します。

勝利至上主義が高まる昨今の流れは多くのマイナス面を生じさせています。

指導者は勝つ強い選手を育てることが求められ、選手はベストを尽くすことよりも相手選手、チームを叩き潰すという感情に支配されやすくなります。

そして、いつの間にか自分のためではなく他者のために頑張るスポーツに変化してしまうのです。

「他者」のために行われるスポーツでは、選手が「他者」の支配下におかれ、「罰の体系」によって支配される場合が多くなります。

成績をあげられなかった選手や、練習でミスを繰り返す選手に対して、指導者が罰をくだし、その罰を回避したいがために、選手がスポーツに打ち込む、という負の構造が生じるのです。

私の高校時代の部活もそんな負の構造の中で行われていました。

こんな思いをしたらスポーツが楽しくなくなるのは当たり前で、高校卒業後競技を続ける仲間は私以外一人もいませんでした。

スポーツの文化的価値

この流れを改善するには、選手自身が考え方を変えていかなければなりません。

また選手が変わるためには、ともに活動している指導者や身近にいる親もスポーツに対する考え方を変える必要があります。

スポーツとは何か、スポーツの歴史、その競技の生まれた背景、このことを学ぶ機会は日本にはありません。

体育教員を目指す体育学部の授業にさえないのです。

このようなスポーツの勝敗以外の価値を一般化させることはとても重要です。

例えば、スポーツは明治8年、英語教師として来日した英国人F.W.ストレンジによって、日本に紹介されたこと。

ストレンジは、スポーツは体力向上を目的としているのではなく、智徳を磨くためであるとし、勝敗よりもベストを尽くすことを厳しく求めていたこと。

ストレンジは克己、勇敢、沈着、明快、気宇壮大という徳性はスポーツによって創られるものだと説いていたこと、など。

社会に出てプロスポーツ以外で活躍している人の多くは、若い時にスポーツをしていた経験が、人生を豊かに有意義にしてくれたと高く評価しています。

つまりスポーツマンは「サッカーは子どもを大人にし、大人を紳士にする」というデットマール・クラマー氏の名言を社会で体現させているということです。

スポーツを行う真の意味は人間形成や人間陶冶にこそある。

これがスポーツの持っているポジティブな文化的価値であり指導者はこのことを理解し次の世代に受け継いでいかなければならないということなのです。

 

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【プロフィール】

福士唯男

一般社団法人日本スポーツマンシップ協会 理事
NPO法人バルシューレジャパン 理事

専門競技はハンドボール。東海大学卒業後、日本ハンドボールリーグで10年間プレー。引退後、ビーチハンドボール男子日本代表監督として世界選手権に出場した。その後、小学生スポーツに携わるようになりバルシューレの普及、指導者へのスポーツマンシップの啓蒙を行っている。

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