2018.09.12
「罰走・体罰」古典的指導がもたらす悲劇 部活動における問題からジュニアサッカーを考える
キラキラとした青春の雰囲気とは裏腹に、ブラック部活や古典的指導による犠牲者は今もなお増え続けている
理不尽なルールや、指導という皮をかぶった暴力。勝利至上主義によるスポーツマンシップの欠落が、世間では問題視されている。
部活動の在り方や指導を通じてスポーツにおける指導法について考え直す時が来たのだ。
古典的指導の根底にあるもの
精神論をベースにした勝利至上主義が、選手たちを傷つける。
理不尽なことや、つらいことに耐え忍ぶことを美徳とする価値観が「オーバーワーク」を助長し、そのような鍛錬によって培われた精神力が勝利へとつながるという思想は、古典的な指導法・指導者の象徴的なものである。
このような精神論をベースにした指導法の問題点は、試合に負けた要因を「気持ち」という抽象的な表現で解釈する点だ。
抽象的な表現の乱用は、育成過程において最も重要なフェーズである「思考」を放棄する。
思考し、判断することが基本のサッカーにおいて、「指示待ち人間」の完成は技術の欠落よりも、深刻な問題だ。
「サッカーは頭で始まり、足で終わるスポーツ」である。
そして何より「心身の発達」がスポーツを行う目的であるとする以上、指導を通じてこのようなネガティブな精神的ストレスを選手に与えてはいけない。
心の発達の前提にあるのはスポーツを楽しむ、ポジティブな感情である。
スポーツを通して行う教育は、「支配」による規律を植え付けることではないのだ。
過度な規律による支配
チームスポーツにとって「規律」は重要なファクターである。
日本の多くの指導現場でも「規律」はとくに重要視され、ピッチ外の日常生活の面においても指導を受ける傾向があるわけだが、そのアプローチの仕方については度々疑問に思う。
罰走・体罰がその最たる例だ。
ミスをすれば怒鳴られ、試合に負ければ連帯責任で罰走が行われる。
敗因について具体的な分析はなく、「気持ち」という精神論で片づけられた挙句、チャレンジすることへの抵抗感と、ルール(規律)は絶対であるという同調圧力を選手たちは植え付けられる。
このような過度な規律が選手間の「コミュニケーション不足」を助長するのだ。
発言の自由を奪われた中で、自主性を失い、上記したような「指示待ち人間」ばかりが量産されていく。
(ここでいう指示待ち人間とは、監督の指示に対して従順で、すべてを聞き入れる素直な選手といったポジティブな意味ではなく、常に変化するゲーム展開の中で個人の判断力に欠けた柔軟性のない選手を意味する。)
育成機関としての役割を無視したブラック部活にとって、指示待ち人間の誕生はメリットが多い。
そもそも勝利至上主義的な観点から見れば、このような単一的な形態は何の問題もないのだ。
古典的な指導者にとって最も都合の良い選手は、指導者側のエゴに対して自身で思考することのない従順な選手であり、それに反発する選手は「協調性がない、チームの規律を乱す」とされ、徹底的に干されてしまう。
「監督という絶対的指揮官のもと、キャプテンという隊長を筆頭とした軍隊のようなもの」それがブラック部活である。反逆者に与えられるポジションはないのだ。
部活動のみならず、このような絶対的な指揮官を擁する高圧的な指導はジュニア年代においても同様に行われている。
ミスに対して執拗に怒鳴る指導者も少なくない。大人の怒号が子供たちを委縮させるのは当たり前だ。
そのような高圧的な指導のもと、監督の顔色をうかがいながらプレーする選手たちからは、ジュニア育成において最も重要な「サッカーを楽しむ」姿勢が失われてしまう。
まさに勝利至上主義がもたらす「心の発達」の放棄である。
前述したように、支配から生まれる規律は選手にネガティブな感情を与えてしまう。
「勝つこと」に捉われ「楽しむ」ことを置き去りにした指導が子供たちから「本当のサッカー」を奪っているのだ。
部活動・ジュニア育成の在り方
上述したような残酷な指導は全くもって稀有な例ではなく、今現在日本トップクラスの高校、大学、ジュニアでもこのような指導が行われており、その形態を全国の育成機関の多くが模倣している。
このような悪質な指導法が蔓延るブラックな部活動、スポーツ指導の現場の在り方はいかがなものだろうか。
本来のスポーツを行う目的である「心身の発達」を妨げる悪質な指導法を目の当たりにした今、すべての指導者がスポーツを行う意義を再確認する必要がある。
部活動やスポーツを行う真の目的は、勝つことではなく、日々の練習や試合、チームワークを形成する中でのコミュニケーション、それぞれの課題を克服する過程における、思考によって養われる「心身の発達」だ。
サッカーから楽しさを奪い、本来の目的を見失った悪質な指導が蔓延る現代、部活動の在り方と指導法から、スポーツ指導の現場に今一度警笛を鳴らしたい。
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執筆者
JEC
中高大のサッカー競技経験や高校サッカー指導経験を経て、SNS上での戦術分析、ブログ「フィジカル的観点で考える個人戦術」において、部活動や育成年代のサッカーに関しての情報発信を行う。