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2019.10.28

サッカー指導者としてサッカーを語れないようでは問題外 だが、サッカーしか語れないのならば、指導者として失格

「個々の力を伸ばします!」

「健全なこころとからだを養います!」

「自主性を重んじて将来豊かな人間性を持てるように育てます!」

「すべては子どもたちのために!」

日本のサッカークラブ・少年団のホームページを覗くと、クラブ紹介の欄にたいていこのような美辞麗句が並んでいる。

どれもがその通りだし、反論の余地もない素敵な目標だ。

もし、実践されているのであれば。

では、実際にそのことを大事に思い、そのためにやるべきことを常に念頭に置き、本当の意味で「子どもたちのために」活動をしているクラブ・少年団というのはどのくらいあるのだろうか。

残念ながら、現場ではいまでも指導者の横暴が絶えることなく行われている。

日本のサッカー指導環境問題

全員出場がルールの大会にわざとレギュラーメンバーだけを選手登録して勝つことにこだわるのは正しい?

怪我をしている選手を「主力だから」と試合に出しているクラブは珍しい?

ミスをした選手を罵倒することは指導者の権限?

クラブの運営費のために試合に起用できる以上の選手を帯同させているのは常識の範疇?

遠征費をねん出するために文句をいわなそうなB、Cチームの子に声をかけるのはまっとうな経営手段?

世の中理不尽なものだから、子どものうちに理不尽に慣れておくのは大事なこと?

どれも馬鹿げた大人のエゴによる戯言でしかない。

言葉を荒げて申し訳ないが、すべて育成現場にそぐわないものばかりではないか。個々の力を押し込め、こころとからだを傷つけ、自主性を閉じ込め、人間性をゆがませている現場。

それでいいわけがない。

「何を言っているんだ。きれいごとばかり言っても世の中はやっていけない」

そんな反論をする人がいる。一理あるように感じさせる。

でもそれは、ただやり方を知らないだけなのではないだろうか?それ以外の生き方を誰も模索しようとしないからではないだろうか?

「みんなで一緒に我慢しましょう。だって仕方ないのだから」

いや、そうではない。

自分がその箱の中で生きることを受容すると決めたのなら、それを周りがとやかく言う必要もないだろう。

でも、それをすべての理のように語るのは間違っている。

そもそも、理不尽が当たり前にある世の中であるのならば、だからこそそうした理不尽を正すにはどうしたらいいか、それを直して、そんなのがない社会がどれほど素晴らしいかを提示することこそが、育成の、教育の現場には何よりも欠かせないことではないだろうか。

指導者とはどのような存在か

勘違いをしてほしくないのは、「じゃあ、我慢はしなくていいからみんな好きにやっていいよ」とか、「よし、いろいろ大変だろうから全部ちゃんと教えてあげるよ」というふうに、何の根拠もないまま180度方向を変えると、それはそれで問題になってしまう。

先日、僕は自分のWEBマガジンで指導者のあり方についてのコラムをアップし、その中で「指導者はどこにどんな”ドア”があり、そこを通り抜けるとどんな世界があり、そこを通り抜けるにはどんなことをしなければならないのかについて、詳細な知識がなければならない」と書いた。

なんの指針も知識も知恵もないまま、子どもたちを振り回すことはよくないのだ。

指導者とは何のために存在するのか。

前述した自分の欲望を具現化するために、子どもたちがいるわけではない。

「子どもたちのために全部を注いでいるんだ!」と自己満足に酔うために、指導現場に立つべきでもない。

誰も無理をしてまでサッカーにつき合ってもらおうとはしていない。

あるいは「プロだから。それで食べてるんでしょ?」と、自分の生活や家族を犠牲にすることを美化することも、されることもあってはならない。

指導者、教育者に求められる最低限のスタートライン

久保田さんのコラムにもあったが、サッカーの指導者だからサッカーだけをやっていいわけではないのだ。

私はいつも「サッカー指導者としてサッカーを語れないようでは問題外。だが、サッカーし語れないのならば、指導者として失格」と訴えている。

どれだけ最先端の戦術を最もぽく解釈して話していても、人の気持ちがわからない指導者の言葉が響くことなんて絶対にない。

相手の存在、価値観を無視した一方通行の言葉かけである時点で、そこはすでに正解ではないのだ。

ちょっとした冗談のつもりで発した指導者の一言が、子どもの心を壊すことだってある。だから、僕らは常に子どもたちへのリスペクトを持って接さなければならない。

子どもたちの未来、大人の都合でぶっ壊すな。

大人が子供を育てるだなんて幻想を信じるな。

子どもと一緒に自分たちも育っていくという姿勢を忘れるな。

多分それが、僕ら大人、とくに指導者、教育者に求められる最低限のスタートラインだ。

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執筆者

中野吉之伴

ドイツサッカー協会公認A級ライセンスを保持する現役育成指導者。現在は元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU13監督を務める。執筆では現場での経験を生かした論理的分析が得意で、特に育成・グラスルーツサッカーのスペシャリストとして活躍。著書「サッカー年代別トレーニングの教科書」「ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする」。WEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)を運営中。

 

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